ADHD男 ブレスの思考の書留

ADHDの特性をもったブレス(私)が考えたことを言葉にして書き残します。ADHDの特性を持った人が困っていること、考えていることを広めていくことで、私の(マイノリティ)の生き難さが軽減されることを思って書いています。私のエゴで誰かが共感してくれたり、発見があれば幸いです。これからの日々が全ての人にとって有意義でありますように。。

考えと行動が不一致な理想主義者

それは僕自身のことである。

完璧の完全を求める。だが現実はとても届かない。努力してきたのかと思い返すと、

好きなことや、すぐに結果が出ることしかやって来なかった。勉強は一切やらなかったし、興味もなく成績は最悪だった。完璧を求めているのに努力はしない。考えと行動が矛盾している。

子供の頃からずっと、こんな自分弱さと向き合うことを避けてきた。

そんな図々しい人間なのに、人から嫌われることはとにかく怖かった。

だから外面良く、無難にその場しのぎの良い人を演じる日々だった。

好きだった学生時代の部活は、怪我を理由に途中で投げ出した。かといって有意義なことをせず、クラスのはみ出し者同士集まってダラダラと過ごしていた。

こうして嫌な事から逃げ続け、今にたどり着いた。社会人になって厳しい現実と向き合わざるを得なくなり、自分と向き合い始めている。今までのツケはなかなかに大きく、どうやって対処するか。

まず第一歩としては自己理解を進めている。16タイプの性格診断によると、infp型人生の意味を求めているタイプだそうだ。確かに現実を見ずに先のことや想像ばかりしていた。最近では哲学っぽいことにも関心が強い… また、内向的すぎるため、外への関心や行動を高め調和のとれた生き方をしていくと良くなっていくようだ。

こんなことをブログに書いているのも自己理解をしたいという欲求からだ。

自分の内面を見せる気恥ずかしさがあって、変な感覚だが今後も続けられたら何か発見があるかもしれない。いやしかし、誰かの役に立つ内容ではないから残念な内容で自己嫌悪だ。将来的には他人への思いやりが本心から湧き出て来るのが理想だ。

こんなにごちゃごちゃした思考の人、他にいるか。では。

 

 

等身大の自分

本気出せば今からだって何にでもなれるってずっと思い込んで生きてきた。

だから今はこの程度でいいやと妥協する理由にもなっていた。

しかし、これから先もその本気の力とやらは出てこないだろう。わかってきた。

悲しい気持ちかというとそうではない。穏やかな気分。あるがままの自分を受け入れる準備は終わった。未熟な未熟な自分自身を受け入れること。

 

生まれて死ぬことは誰にも避けられない事だ。そういった現実を受け入れて生きることが、地に足をつけて生きることなのかもしれない。

僕は以前よりも焦りは少なく、穏やかに生きている。今はこんな感じでいい。そう思った。

 

彼への思い 僕のエゴ

僕の友人Aは、いわゆるヒキコモリのニートだ。大学時代からの長い付き合いになる。歳は結構離れている。社会人経験を経て入学したからだ。当時18歳だった僕には、彼は憧れの存在だった。行動的でリーダーシップがあり、いつも面白いことを企画していた。内向的な僕が心を開くことができたのも、彼の人間性のおかげだった。それから仲良くなり2人でも遊ぶ仲になった。本当にやばいと思った時も彼にはなんでも話せた。

しかし四年時、彼は就活をせず、家でゴロゴロ過ごしていることが多かったと記憶している。年齢的に不利だという理由で諦めのような雰囲気があった。卒業後も仕事はせず、現実逃避的にインターネットをしている。

なぜ彼がそうなったか。聞くと今更、年下の上司に色々言われるのは嫌だという。プライドが邪魔するんだという。確かにそうだろう。僕自身も年下の先輩に敬語を使う場面は多いし、指導もされる。最初の頃は、年下だと軽くみてしまったのが態度に出たらしく、キツく言われてしまった。

仕事は出来る人から吸収するのが早い。だから今はとにかく謙虚な気持ちで教えを乞う。

 

一般的には、1度長期間社会から離れると復帰は時間がかかる場合が多いようだ。彼の様に社会から逃げ続けるのは緩やかな自殺の様に感じる。

どうやって生きるのかは本人の自由だ。でも今の僕には一緒に成長し合える仲間が必要だ。だから彼には社会人として仕事にチャレンジして欲しいと思っている。

親も干渉できない環境にある彼のモチベーションを高めるにはどんな行動が必要なのか。

僕自身自分のことで精一杯なのに人のお世話ができるのか。

明日は会う約束がある。

お互いにとって良い時間にはしたいと思う。

 

 

 

 

メンタルの安定

この3週間よく寝て、パルブロ酸200㎎を飲んだおかげか落ち込みが減ってきた。

なぜか食欲も落ち着いてきた。鬱の時はやたら食欲があった。帰宅後すぐになにか口にしないといられなかった。その割に動くことは億劫で、布団に入ってゴロゴロしていた。

今は仕事後はのんびり好きなことをして過ごしている。  1年間で物事への感じ方が大きく変化することは、もはや同じ自分ではないかのようだ。

 

最近自覚したが 、僕は自分の時間を他人に使うことがあまり好まないようだ。買い物に付き合うとか。付き合いで飲み会に参加するとか。

1週間が早く感じる。日記に残さないと何もなかったかのように過ぎ去っていくような感覚がある

今日はここまで。

今日の記録

今朝は夏の日差しを感じた。夏と秋の中間。通勤の際、自転車の漕ぐスピードを出すことで涼しく感じられた。だが信号待ちで止まると身体が熱くなり汗が出てくるのを感じた。

いつもの橋を越え、会社に着いた。気持ちを切り替えなきゃと、自分に命じ会社員らしく振舞う。すれ違う人には2トーン高めに挨拶を行う。顔は微笑んでいるつもりだが、無表情に近いかもしれない。自分の顔は見ることができないから確かめられない。いつもの調子で、階段上がる。このとき、足の裏は母子球に体重を乗せるよう意識している。

仕事が始まった。言われたことを淡々とこなす。目的通りに作業を行う。これでいいんだと自分に言い聞かせた。

昼飯は楽しみの1つだ。会話しながらだとあまり噛むことができず、飲み込んでしまう。消化には悪いが、若いから大丈夫なんだと。

普段通りの感覚で会話を終え、午後の仕事に備える。午後も目的通りに作業をし、今日は無事仕事を終える。

家に着くと、このままでいいのか。たった一回の人生、流されるまま、覚悟は決められず生きていいのかと自分に問う。生きる意味は今、現在その瞬間である。今の自分は10年前に目指した姿か。なってみたい自分とはどんな自分か。ブログを書けば何か見えてくるかもしれない。違うかもしれない。でもやってみた。やってみないとわからない何かはあるんだと分かったような分からないような。

 

この瞬間に感じたこと。

風は僕を良い気持ちにさせてくれる。あとやっぱり空と雲と星は綺麗だ。

以上記録でした。

 

 

メンタルクリニックは予約で溢れていた。

ここ数年自分のハイな時期とローな時期の落差を考えてみた。

ハイな時期は行動的になり、周りからイキイキしているとよく言われる。場合によっては人に迷惑をかけるほどのこともあった。

ローな時期はハマっていた趣味をやっても楽しくなく、生きる意味について考えたり、将来に絶望する。

これらの症状を本やインターネットで調べるにつれて双極性障害という精神病が浮かび上がってきた。

そこでメンタルクリニックに初診の予約をしようと電話をかけた。
何件の病院も、数ヶ月待ちです。急ぎなら他の病院を受診してください。との内容が返ってくる。

 9月は季節の変わり目で、自律神経に影響を及ぼすこともあるようだ。だから患者も多くなるのかもしれない。

 

結果的にはメンタルクリニックの受診は保留した。

持っていた偏頭痛の予防薬バルプロ酸が躁鬱効くらしく、ひとまずはそれを飲んで対処しよう思う。

僕の行く頭痛クリニックではうつ病も診療範囲らしいので、今度そちらで相談するつもりだ。

ちなみにその病院の患者は、頭痛で診察を受けている人の37パーセントはうつ病の診察も受けているそうだ。

自分もその仲間入りとなることを思うと、頭痛とうつ病は関係が深いのかと余計なことを考えてしまうが、別々の病気で関係はないと考えられているらしい。

 

メンタルの不調の人は多くいるんだろうと感じた。だから今回ブログに載せてみた。

今後も気になることはシェアしていきたい。

 

 

 

 

躁鬱傾向とは

よく身体を動かしていた頃は、じっとしていることが苦痛だった。だからそのときは外を歩き回って、スケボーをよくやっていた。夢中になれて楽しかった。公園でやっていると声をかけられて色々な知り合いが増えていった。

当時は調子が良いなと思っていた。振り返ると、何か抑えられない衝動によって動いていたとも感じられる。

 

僕には活発なり心身が充実する時期と静かにエネルギーを蓄える時期があるようだ。

この1ヶ月間、公園にはほとんど行かなくなった。気が乗らないのだ。

特定の友人としか遊ばない。休みの大半はベッドでゴロゴロ過ごす。なかなか夢中になれる瞬間が少なく退屈しているのだ。

 

ただ、今日はなんとなくスケボーに乗ってみたら想定していたよりもに楽しく集中していた。

やっぱり、もう一度スケボーやってみようかな。

 

僕にはよく自分が何をやりたいか分からなくなることがある。原因は何なのか。

日記を書くことで何か見えてくるのかもしれない。

他の人はこの現象をどう考える。