ADHD男 ブレスの思考の書留

ADHDの特性をもったブレス(私)が考えたことを言葉にして書き残します。ADHDの特性を持った人が困っていること、考えていることを広めていくことで、私の(マイノリティ)の生き難さが軽減されることを思って書いています。私のエゴで誰かが共感してくれたり、発見があれば幸いです。これからの日々が全ての人にとって有意義でありますように。。

苦しみは学びへの入り口

私は躁鬱で苦しんだ。今も治ってはいないだろう。

躁状態では万能感を感じ、鬱状態では息苦しさと生きることの苦しみを全身で感じた。

 

良いこともある。

鬱状態の苦しみは人を学ばせ成長させる。

 

私は1人では生きていけないと謙虚な想いを持つようになった。

特に周りの家族や友人に対してとても感謝するようになった。

愛に近いとても深い好意を持つように改まった。

 

私は家族や友人への思いやりが少なかった。恐らく死ぬ前に後悔することになっていただろう。

しかし鬱状態になったお陰で、本心から思いやりを持つようになった。

鬱のような絶望的な苦しみは人を謙虚にさせるのである。

僕は膝の怪我がきっかけで鬱になった。仕事だって続けられるか分からない。不安はある。

だが、周囲への思いやりを持たず、独り善がりに生きて死ぬよりかは全然良い。

 

私は鬱の苦しみに感謝したい。苦しみは神が与えた試練であり、成長の機会なのだと私は理解した。

体験することに意味がある。この世の全ては体験だ。