苦しみは学びへの入り口
私は躁鬱で苦しんだ。今も治ってはいないだろう。
躁状態では万能感を感じ、鬱状態では息苦しさと生きることの苦しみを全身で感じた。
良いこともある。
・鬱状態の苦しみは人を学ばせ成長させる。
私は1人では生きていけないと謙虚な想いを持つようになった。
特に周りの家族や友人に対してとても感謝するようになった。
愛に近いとても深い好意を持つように改まった。
私は家族や友人への思いやりが少なかった。恐らく死ぬ前に後悔することになっていただろう。
しかし鬱状態になったお陰で、本心から思いやりを持つようになった。
鬱のような絶望的な苦しみは人を謙虚にさせるのである。
僕は膝の怪我がきっかけで鬱になった。仕事だって続けられるか分からない。不安はある。
だが、周囲への思いやりを持たず、独り善がりに生きて死ぬよりかは全然良い。
私は鬱の苦しみに感謝したい。苦しみは神が与えた試練であり、成長の機会なのだと私は理解した。
体験することに意味がある。この世の全ては体験だ。