ADHD男 ブレスの思考の書留

ADHDの特性をもったブレス(私)が考えたことを言葉にして書き残します。ADHDの特性を持った人が困っていること、考えていることを広めていくことで、私の(マイノリティ)の生き難さが軽減されることを思って書いています。私のエゴで誰かが共感してくれたり、発見があれば幸いです。これからの日々が全ての人にとって有意義でありますように。。

孤独の中の癒し

今日は1人で河原に来てみた。

水の流れや周囲の景色を眺めてボーッと過ごす時間が僕をリラックスさせてくれた。

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河原。小学校の頃コナンのエンディングで流れていた忘れ咲きを思い出した。

帰宅してからはその曲をギターで弾いてみた。心がほっこりしてくる。

 

1人で過ごすことの多い休日だけど、こんな風に過ごせたらいいなって思う。

2017私の振り返り

前半は勢いがあり、前向きに取り組んでいた。

後半は色々なことから逃げ、サボっていた。

それでもギターと仕事だけはコツコツ頑張れたと思う。

あと断酒。

マストなことはやり遂げただろう。

 

ブログ途切れ途切れだったが、縁あって大晦日になんとか書き込んでいる。

 縁は不思議なものだ。良くも悪くも今年はそう思うことが多かった。

過去に作った何かしらの原因が今の現状(結果)に繋がっている。

良い原因を作るのが大切なんだろう。

 

二度とない今を生きている。そう考えると力が入り過ぎてしまう私がいる。

旅は急ぐほどにつまらないという。

だから力を抜き、己の呼吸に合わせて生きていく。

 

 

 

 

 

精神が壊れた振りをしてみた

何をして生きるのがベストなのか。考えがまとまらないがここなら吐き出せる。

 

この数ヶ月やりたいことが分からなくて、なんとなく空いてる時間はギターを練習した。

 

1ヶ月続けてやるとそれなりに弾けるようになった。だが、さらに進歩し続けていかないと面白くなくなっていくような感じがある。もともとリズム感がなかったから苦労した。今は好きな曲を反復練習しているだけ。飽きつつあるのかも。←今は飽きてないのにまだ起きていない先のことを心配している。

 

僕は自分が何をしたいのか、前より分からなくなった。

今まで自分のために時間を使い過ぎたのかもしれない。人は他の人々のために生きるべきなんじゃないか。←これは単なる合理化だとも言えなくもない。

今まで生きてて人のためにって視点が少な過ぎた。ダサい。

 

最近日記が書けなくなったのは、完璧を求めていたからかもしれない。今回はただ雑に吐き出すと決めて書いてるから内容がごっちゃごちゃである。少なくとも書かないよりはマシであると。そうポジティブに思い込む。

でも1つのテーマに沿って書いた方が読む側は良いはず。

 

いま、職場で悪○が流行ってる。ダサい。ダサいこと、自分自身が良くないと思っていることはなるべくしたくない。避けたい。悪い人の行動に合わせない。

 

死について考える時間が増えた。死んだら消えないと確信に近いような思いを持ちつつある。

無になることはないと思い込んでる。

不滅の魂はあるとしてもこの時代に出会えた人々と生きられる人生は一度きりな可能性は高い。

だから良く生きたい。自然に湧き出る自分の中の善意に従って行きたい。

こう言いつつも今までは悪い自分に従うことは多かった。

 

僕は思い込んでると思い込んでいると思い込んでいる。以下永遠ループ

 

この時代。人間とは。自分とは何なのか。何なのかということがなんなんですか。

これじゃあ何も考えていないことと同じなのかもしれない。

 

ちゃんと正しい道に進めばこの壊れた脳が回復するはず。

fight:p

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

躁転の症状なのか。

異常な食欲、過眠がなくなった。

しかし、色々な話題を話したくなる気分で落ち着きがなくなってきている。

内容は他者への不満の話が多い気がする。

恐らく鬱から軽躁になりつつあるのだろう。

昨夜、後輩たちと久しぶりに会ったことが原因かもしれない。

気分が高揚してそのテンションが収まらない感覚だ。

運動も意欲的にこなせる。眠気は全く来ない。今夜は長そうだ。

 

僕は何かによって気分が操られているような、不思議で不快な気分になる。

そもそも自分自身の意思とは何だろうと不思議に思う。

この意思は本物なのか。意思とは何か。

自分ってどういうことなんだろう。

 

こんな答えの見つからないことを考えたり、頭の中が騒がしい。

新しい別の世界を経験したい。別の人生を想像したりする。

 

一昨日バルプロ酸を400mgに増やしたのに、効果があまり感じられない。

 

今日はこんなことを考えた日でした。

 

考えと行動が不一致な理想主義者

それは僕自身のことである。

完璧の完全を求める。だが現実はとても届かない。努力してきたのかと思い返すと、

好きなことや、すぐに結果が出ることしかやって来なかった。勉強は一切やらなかったし、興味もなく成績は最悪だった。完璧を求めているのに努力はしない。考えと行動が矛盾している。

子供の頃からずっと、こんな自分弱さと向き合うことを避けてきた。

そんな図々しい人間なのに、人から嫌われることはとにかく怖かった。

だから外面良く、無難にその場しのぎの良い人を演じる日々だった。

好きだった学生時代の部活は、怪我を理由に途中で投げ出した。かといって有意義なことをせず、クラスのはみ出し者同士集まってダラダラと過ごしていた。

こうして嫌な事から逃げ続け、今にたどり着いた。社会人になって厳しい現実と向き合わざるを得なくなり、自分と向き合い始めている。今までのツケはなかなかに大きく、どうやって対処するか。

まず第一歩としては自己理解を進めている。16タイプの性格診断によると、infp型人生の意味を求めているタイプだそうだ。確かに現実を見ずに先のことや想像ばかりしていた。最近では哲学っぽいことにも関心が強い… また、内向的すぎるため、外への関心や行動を高め調和のとれた生き方をしていくと良くなっていくようだ。

こんなことをブログに書いているのも自己理解をしたいという欲求からだ。

自分の内面を見せる気恥ずかしさがあって、変な感覚だが今後も続けられたら何か発見があるかもしれない。いやしかし、誰かの役に立つ内容ではないから残念な内容で自己嫌悪だ。将来的には他人への思いやりが本心から湧き出て来るのが理想だ。

こんなにごちゃごちゃした思考の人、他にいるか。では。

 

 

等身大の自分

本気出せば今からだって何にでもなれるってずっと思い込んで生きてきた。

だから今はこの程度でいいやと妥協する理由にもなっていた。

しかし、これから先もその本気の力とやらは出てこないだろう。わかってきた。

悲しい気持ちかというとそうではない。穏やかな気分。あるがままの自分を受け入れる準備は終わった。未熟な未熟な自分自身を受け入れること。

 

生まれて死ぬことは誰にも避けられない事だ。そういった現実を受け入れて生きることが、地に足をつけて生きることなのかもしれない。

僕は以前よりも焦りは少なく、穏やかに生きている。今はこんな感じでいい。そう思った。

 

彼への思い 僕のエゴ

僕の友人Aは、いわゆるヒキコモリのニートだ。大学時代からの長い付き合いになる。歳は結構離れている。社会人経験を経て入学したからだ。当時18歳だった僕には、彼は憧れの存在だった。行動的でリーダーシップがあり、いつも面白いことを企画していた。内向的な僕が心を開くことができたのも、彼の人間性のおかげだった。それから仲良くなり2人でも遊ぶ仲になった。本当にやばいと思った時も彼にはなんでも話せた。

しかし四年時、彼は就活をせず、家でゴロゴロ過ごしていることが多かったと記憶している。年齢的に不利だという理由で諦めのような雰囲気があった。卒業後も仕事はせず、現実逃避的にインターネットをしている。

なぜ彼がそうなったか。聞くと今更、年下の上司に色々言われるのは嫌だという。プライドが邪魔するんだという。確かにそうだろう。僕自身も年下の先輩に敬語を使う場面は多いし、指導もされる。最初の頃は、年下だと軽くみてしまったのが態度に出たらしく、キツく言われてしまった。

仕事は出来る人から吸収するのが早い。だから今はとにかく謙虚な気持ちで教えを乞う。

 

一般的には、1度長期間社会から離れると復帰は時間がかかる場合が多いようだ。彼の様に社会から逃げ続けるのは緩やかな自殺の様に感じる。

どうやって生きるのかは本人の自由だ。でも今の僕には一緒に成長し合える仲間が必要だ。だから彼には社会人として仕事にチャレンジして欲しいと思っている。

親も干渉できない環境にある彼のモチベーションを高めるにはどんな行動が必要なのか。

僕自身自分のことで精一杯なのに人のお世話ができるのか。

明日は会う約束がある。

お互いにとって良い時間にはしたいと思う。